有名小説の冒頭

日本文学編

夏目漱石『吾輩は猫である』

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。

夏目漱石『坊ちゃん』

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

夏目漱石『草枕』

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。 あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。 ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。

川端康成『雪国』

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれてい た。
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」

太宰治『人間失格』

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。

海外文学編

トルストイ『アンナ・カレーニナ』

幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
オブロンスキー家は大混乱のさなかにあった。夫が以前家庭教師に雇っていたフランス女と関係を持っていたことに気づいた妻が、もう一つ屋根の下には暮らせないと、面と向かって宣言したのだ。この悶着はすでに三日目に入っていて、当人同士も家族も使用人たちも、ひどくまいっていた。こうして一緒に暮らしていても意味はない、どこかの宿屋に偶然泊まり合わせた人々のほうが、自分たちよりもよっぽど親密なくらいだ──オブロンスキー家の家族も使用人も、皆そう感じていたのだ。妻は自分の部屋に閉じこもったままで、夫は二日も家を空けていた。子供たちは途方にくれたように、家中を駆け回っている。家庭教師のイギリス人女性は家政婦と喧嘩して、友人に新しい職を見つけてくれと手紙を書き、コックはすでに昨日の夕食時に家を出て行き、下働きの炊事婦と御者も辞めたいと申し出ていた。

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